05 : get burned

 土日と祝日を利用しての帰省から東京に戻り、数週間が経った。あいかわらず、てきとうにサークルに顔を出してはバイト、講義もまあそれなりに、の日々である。その日もおれは、バイト先の制服である濃紺のシャツに腰下のエプロンを身につけ、ホールに出ていた。夕方からのシフトで、忙しくなる時間帯までは間があった。
 へたに余裕があるせいで、なんとなく遠坂のことを考えてしまう。突然男――それも美形のストーカー――に告白されたんだから、無理からぬ話だろうと思う。いまだショックからは抜け出せていない。
 いささか開き直った遠坂が、そこらをうろちょろし続けているせいもある。さっきも、バイトへ行く途中なんの気なし近所のにコンビニに寄ったら、雑誌売り場のところに立っていた。すみっこのほうで体をちぢこめていたが、いかんせん百八十センチを超す長身だ、一瞬でわかった。成人指定のエロ本の前に立っているとわかったら慌てはじめたし。話しかける気にもなれなくて、そのままコンビニを出た。
 日に日に疑問が大きくなるばかりだ。
 どうして、遠坂はああまでおれが好きなのか。
 ……成人式の帰り道、詰問してわかったこと。遠坂はいま、東京で大学に通っている。おれのストーカーをやりだしたのは一年前――つまり大学に入学してからだ。
 おれを見つけたのは、ほんの偶然だったという。大学に入ってすぐ、断りきれずに行ったサークルの新歓でおれのバイト先の居酒屋に行ったのだ。すぐにわかった、とあいつは言った。この幸運を無駄にするわけにはいかないと思った、とも。
 それならふつうに話しかけてくれればよいものを、生来の引っ込み思案が祟って遠坂にはそれができなかった。遠くから見守っているだけで十分だと決めこみ、見守り続けて早一年。そのあいだに居酒屋に通ってシフトを割り出し、それとなく後をつけて大学と下宿をつきとめた。近所のコンビニで雑誌を読むふりをしながら、帰路につくおれをさがす。ときには下宿のすぐそばでおれの部屋の明かりが消えるのを見守る。自身の大学生活のかたわら、そんな日々を送っていたらしい。
 世間的にはそれをストーカーという。
 ドン引きである。
 どうしてそんなことに情熱を傾けてしまうのかといえば、おれのことが好きだから、なんだろう。……だけどあいにく、おれにはそこまでする価値などない。
 思うに刷り込みなのだ。おれがたまたま、いじめっ子からあいつのことを救ってやった。それが八年も経ったいまこのときまで尾を引いている、ただそれだけのこと。いずれ二十歳過ぎてつまらない男になった仁奈川葉介に愛想を尽かすにちがいなかった。
 ……などと、ぐだぐだ考えているうちに、店はすっかり満席になっていた。
「仁奈川、八番テーブルにこれ持ってって!」
 店長から鋭い指示が飛ぶ。おれはびくりと我に返り、厨房を振り返った。店長の声に険がある。交わした目線で、ぼさっとすんな、と叱責されているような気がした。上の空でいたのはお見通しなのだろう。
 ストーカーのことにかかずらって忙しいバイト先に迷惑かけてちゃ世話ない。おれは慌てて、カウンターに出された料理に手を出した。……それが石焼ビビンバだとも気づかずに。
 あっ、と思ったときには、手のひらに耐え難い灼熱がふれている。
「熱っ――!」
 反射的に手が跳ねた。その勢いでぐらりと器が傾く。肩の高さほどのカウンターから、熱く焼けた器が転げ落ちていくのが、妙にスローモーションに視界にうつった。
 次の瞬間には、すさまじい破砕音。思わず閉じていた目をこじ開けると、足元には無残にぶちまけられたビビンバの中身と、粉々に砕けた器があった。
「失礼しました!」
 カウンターの中から、店長が声を張り上げて出てくる。おれははっと我に返り足元にしゃがんで器を拾おうとしたが、その手は店長によって押し止められた。
「火傷したろ。片付けはやるから、手当してこい」
「あ……す、すみません!」
 深々と頭を下げる。視界の外から、はあ、とため息が聞こえた。
「仁奈川。おまえ今日、ちょっとぼーっとしすぎ」
 あからさまに幻滅した顔だった。おれは再度謝り、立ち上がってバックヤードに回りながら、胃の腑がずっしりと重たくなってゆくのを感じていた。
 もう、自己嫌悪の嵐、嵐だ。ロッカールームでパイプ椅子に腰掛け、厨房から借りてきた氷で手を冷やしながら、おれは唸った。ああ、なんだってあんな大ポカやらかしちまったんだ。遠坂のせい……いや。おれのせい、だな。
 このバイトは大学に入ってすぐに始めたから、もうすぐ丸二年になる。店長は厳しくて叱られてばっかりだけど、さいきんは少しましになってきたと思っていのに、これだ。……ついさいきん入ってきた後輩のほうがうまくやっているんじゃないのか。
 そんなことを考えはじめたら、もう止まらなかった。なんにもならないとわかっていながらおれは自分を責めつづけ、火傷から痛みが引いても、パイプ椅子に座ったまま動けなかった。そのうちに店長が裏にやってきて、言う。
「今日はもういいから、帰れ」
 さらに落ち込んだ。
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