04 : I would like to watch you

「おれなんてダメだよ。このとおり、背の高さも微妙だし、彼女とはケンカしてるし、バイトも叱られてばっかだし」
 ついつい愚痴っぽくなった。一度口に出してしまうと、うまくいかないことばかりが思考にのぼる。おれはウールのマフラーにあごをこすりつけるようにして、足元を見る。
「そんな。い、居酒屋のバイトなんて立派だよ……、おれには絶対できない。彼女とケンカしたのだって、バイトで時間が取れないせいだろ」
 一生懸命フォローに回ってくれるこいつは、たぶんいいやつなのだろう。だけど頭に血がのぼっていて、すなおに彼の言葉を聞き入れることができない。 
 なおも遠坂は言い募った。
「仁奈川は、かっこいいよ。おれにとっては、ひ、ヒーローだったんだ……三輪から助けてくれたし」
「そんなこともあったけど。なりゆきだよ」
「そ、それだけじゃない。足速かったし、泳ぐの速かったし、勉強もできたし」
 それ、ぜんぶ小学生のときの話だろ。過去の栄光を語られたって、みじめなだけだ。つい剣呑な声が漏れた。
「ばかにしてんのか、おまえ」
「ば、ばかにしてなんか! ただ、おれは……」
 ばちん、と目があった。自分で思っているより目に力が入っていたのかもしれない、遠坂はすぐに目を逸らしてしまった。もの言いたげな顔を道ばたに向けたまま、白い呼気を吐き出している。
 はっきりしない態度に、苛立ちが生まれた。
「なんだよ。なんでそこまで言うんだよ、遠坂は」
 おれはぐい、と遠坂に詰め寄った。彼はおののいたように後じさりかけるが、折しも雪で道幅の狭くなった堤防を歩いていた。逃げ場はない。
「こっち向けよ。なあ、なんでだ」
 なおも問いかけると、ふいに甘い温もりにつつまれた。目の前には、上質なスーツの肩口。……抱きしめられているのだとわかった。遠坂は突然、おれを両の腕で抱き取ったのだ。
 今度はいったいなんだっていうんだ。
 ぎゅわっと抱きしめられ、目を白黒させる。驚きのあまり、苛立ちは霧散していた。
「す……好きだ」
 声、震えてたけど。
 はっきり、言った。
 わけがわからなくて、頭がまっしろになる。腕のなかで空を仰ぐと、冬の夜空は憎たらしいくらいに澄みわたり、星がかがやいている。
 ……好き、って。おれが?
 いったいそれは、なんの冗談だ。
 しかし遠坂は、おれを抱く腕にさらに力をこめて言い募る。
「好きなんだ。好き、だから……そこまで言った」
 こうして間近でふれてみると、やはり、たくましい体をしていた。その全身で思慕を表されて、なるほどこれは一笑に付すこともできない、と妙に冷静に思う。
 まさか、とは思うが。顔を真っ赤にしていたのは酔いのせいなんかじゃなかったのだろうか。目を逸らしていたのも、おれをしきりに避けたのも。
 おれのことが好きだから。それが理由だっていうんだろうか。
 遠坂はやがて、おれを腕のなかから解放する。再び対峙した彼は、とまどいを隠せないおれを見て言った。
「大丈夫、付き合ってくれなんて言わないから……だけど仁奈川のこと、これからも見守らせてほしい」
 遠坂はちゃんとおれを見ていたので、そのときやっと、おれは真正面から彼の顔を拝むことができた。やはり、張り合う気も湧いてこないほどの男前である。いまはその顔に淡く朱をのぼらせて、おれをみている。
 おれはしばし、おれに恋しているというその男の顔を呆然とみていたが、ふと違和感をおぼえて我に返った。
「これからも、って……」
 これからも見守らせてほしい、と遠坂は言った。
 それは、八年ぶりに再会した人間に対して言うにはおかしな言葉ではないだろうか?
 ついさっきの遠坂の発言が思い出される。
 ―― い、居酒屋のバイトなんて立派だよ……、おれには絶対できない。彼女とケンカしたのだって、バイトで時間が取れないせいだろ。
 おれ、居酒屋のバイトしてることとか、彼女とのケンカの原因とか、話したっけ? 酒に酔っているとはいえ記憶をなくすほどじゃない。話したとしたらおぼえている。
 寒さのせいではなく、背筋をぞくっと震えが走った。
「ま、まさかおまえ……」
 たびたび感じてきた、おれをつけ狙う妙な気配。大学への通学路、バイト先からの帰り道でだれかに見られているような気がしたあれは。
「おれのこと、見てたのか。ずっと」
 否定してくれればいい。そんな淡い願いは果たして、裏切られることとなった。
 遠坂はうつむいて、ごく小さな声でごめん、と言った。……肯定以外のなにものでもない。
 あまりのことに、くらっときた。
 かつて“ひよわ”といじめられた遠坂日羽は、八年経ったいま、見違えるような美青年に成長していた。そして、どういうわけだかおれのことが好きだとのたまう。
 それだけならまあ、百歩ゆずってよしとしよう。だがやつは、あろうことかストーカーと化していたのだ。まったく連絡とってなかったのに、いったいどうやっておれの居場所を突き止めたんだか。なにか恐ろしくて、目の前のばかに美しい男が、得体の知れない生きもののように見えた。
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