EPILOGUE

 目を覚ますと、やわらかな寝台の上だった。なんだかひどく体が気だるい。うめき声をあげながら、リオは清潔なシーツに頬を擦り付けた。
「起きたかい」
 ふいに甘やかな声が降ってきて、リオは目を瞠る。体を起こして、口が開いた。そこが見慣れてきた客室ではなく、広大な温室の一角だったからだ。寝台は巨木の陰、草の上に設えられていた。硝子の天涯から、きらきらと朝の光が降り注いでくる。
 ふと見下ろせば、リオは一糸まとわぬ姿を晒している。なぜ、と考えかけて、やっと昨夜のことを思い出した。かあっと頬に朱がのぼり、リオはシーツのなかに潜りこむ。
「おやおや」 
 薄く光を透かすシーツのなか、体を検分する。自分のものとご主人さまのものとであんなに濡れたのに、肌はさらりとしている。リオが後ろ孔を抉られて達し気をやったあと、洗ってくれたのかもしれなかった。それはいいのだが、情交の一部始終を思い返し、リオはひとり身悶えてしまう。
 だがそうしていられたのも、シーツの外から甘い香りが漂ってくるまでだった。ご主人さまの蜜のにおいに、リオの空っぽのおなかが情けない音をたてる。聞いていたのだろう、ご主人さまは笑って声をかけた。出ておいで、朝ごはんにしよう、と。
 すぐそばに設えられたテーブルにつき、硝子瓶に貯められた蜜をすくう。ご主人さまがじっとこちらを見ているような気配がして、どうにも落ち着かない。リオはふと、口を開いた。
「そういえば。どうしてご主人さまは、ぼくの昔のことを知っていたの?」
「ああ。私の眷属が世話になったのさ」
 思いもしない言葉に、リオは首をかしげる。おぼえがなかったのだ。
「知っているはずだよ。私によく似た白い花だ。水をやってくれただろう」
 言いながら、ご主人さまは木立を揺らす。視界のなかでざわめく白い花に、突然リオは思い出した。
「もしかして……」
 なぜ、忘れていたのだろう。ご主人さまは、かつてリオがひっそりと世話していた花にそっくりだった。こんな巨木ではなかったから、印象が違って見えていたのかもしれない。
 それは、リオの前の飼い主の家の庭に生えていたのだ。主の趣味を反映してか、色彩鮮やかな大輪の花々が咲き誇るなか、あの木だけは慎ましい白い花をつけていた。庭の隅でひっそりと生き、手入れされることなく枯れようとしていたそれに、リオはおのれの姿を見た。ほうっておけず、水をやっていたのだ。
 まさか、という目でご主人さまを見ると、嬉しげに体を震わせた。聞けば〈森の賢者〉は、同じ森で生まれた者すべてが兄弟であり、違う地に生きるようになったのちも、感覚の一部を共有しているのだという。
「だから私はきみがとても優しい子だと知っていた。不器用さがいじらしくて、欲しくなったんだ」
 あたたかいものが、リオの胸を濡らす。なんだかひどく優しいものが体の奥のやわらかいものに触れているようで、落ちつかない。いたたまれなくてうつむくリオを見て、ご主人さまは愛しさをつのらせたようだった。
「かわいいリオ。そんなに離れていないで、もっとそばに寄りなさい」
「ま、まだ食事中だから」
「蜜ならここにもある」
 ご主人さまは白い花をざわめかし、身をひこうとするリオをするりと捕まえた。
「明日にでも、舖と正式な契約を結んでこよう」
 細い肢体に蔓を這わせながら、ご主人さまは機嫌よく言う。戸惑っていたリオも、一度体をあずけてしまえばその心地よさに酔った。
 花から直接蜜をのみながら、リオはむずがゆい感覚が這い上がってくるのを感じていた。ながくそれから遠ざかっていた不憫な少年には、まだ受け入れがたい甘やかな日常。
 だが彼がひとたびのぞめば、それは手のうちに落ちてくることだろう。

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