CHAPTER 1

「リオ。おまえを買いたいというヒトが、やっと見つかったよ」
 舖の主のそんな言葉を、リオは信じられない思いで聞いた。

 硝子の匣に篭められ、リオは今日も待っていた。昨日も待っていたし、そして明日も待つのだろうと思っていた。磨きあげられた硝子の壁越し、おのれを見初め、連れ帰り、そして昼夜を問わず愛してくれる者が訪れるのを。
 しかれど彼は、そんな心中などおくびにも出さなかった。彼以外の“商品”――リオと同じように匣に篭められ買い手のおとないを待つ少年たちはみな、通路をゆく“人間”を期待をこめた目で見つめる。笑みを絶やさず、媚びを売り、ぼくはすばらしい愛玩動物ですと喧伝する。
 対してリオは匣のすみで、豪奢な椅子に腰かけていた。客になど興味はないという顔をして、つれなくふんぞり返って。高飛車さに興味を示す客とてないではないが、この舖に来る者はたいてい、ヒトによく懐く愛玩動物を求めている。愛想のかけらもないリオにはほどなく興味をなくして、姿を消してしまうのだ。
 裏腹に、彼はこの舖の商品のなかでもいっとう美しい。夜をそっくりうつしたような紫紺の黒髪が白いおもてをやわらかくふち取り、髪色によくそぐう菫青石(アイオライト)の目はいつも夢見がちに濡れている。いまにも咲き初めようというところで時をとめた肢体は、客にもっとも好まれる十四歳型。成長の余地を感じさせるのびやかな躰を、仕立てのよい白いシャツと黒のショートパンツに包んでいる。肌は陶器のようになめらかで薄青い血管すらはっきり見てとれる白さだが、むきだしの膝ははっきりと紅かった。
 リオは〈アドニス〉――ヒトに試験管のなかで造られ、商われ、ヒトに飼われ愛情を注がれるべき、愛玩用の美少年である。
 ゆえに、どれほど美しくとも買い手がつかないのでは意味がない。彼自身、おのれがこの舖の重荷になりはじめていることを、感じていた。

 しかし今日、そんな彼に買い手がついたと言う。リオは硝子越しに、舖の主を疑わしげな目で見上げた。
「ただし。一ヶ月の試用期間が欲しいそうだ」
 続く言葉に、リオはやっぱり、と失望の息をついた。一ヶ月の試用期間、終えて気に食わなければ無償で返品がきく。そんな待遇は、ほうっておいても買い手がつく〈アドニス〉には有りえない。相手にそんな条件を出されて呑んだ主も主で、リオを持て余しているがゆえなのだろう。自分でもわかっていたことだが、いざそう扱われてみると気が滅入る。
 買い手のほうだって、はじめから手放すつもりでリオを試すのにちがいない。〈アドニス〉は高級品だ。いかに売れ残りといっても一ヶ月無償で楽しめるのなら、こんな得なことはない。そしてそれを心変わりさせるだけの手管はリオにはないのだった。
 長いまつげを伏せて、いかにも気乗りしない様子の〈アドニス〉に、主はやんわりと告げる。明日の昼迎えが来るから、心づもりをしておくように、と。商品にははじめから拒否権がない。
 がらんとした硝子の匣のなかを見回し、彼は考える。別れを惜しむ必要はない。どうせすぐに帰ってくることになるのだから。
 そうして無味乾燥な夜は過ぎ、翌日になった。主の言ったとおり迎えは昼に訪れた。彼の話などリオはろくろく聞いていなかったが、現れたのは毛並み、身なりともに品よく整ったクルル人――鳥によく似た“ヒト”だった。彼は甲高い声で言う。
「旦那さまのところまで案内いたします。どうぞこちらへ」
 いざなわれた星間車両の中は天鵞絨張りと飴色の木目の美しい内装で、蜜色の灯りに照らされている。ご主人さまはずいぶん金持ちらしい。座席にもたれ、窓の外で青に赤に燃えさかる星々を眺め、リオは思った。
 そんな彼の感慨はまったくただしく、数時間かけてたどり着いた邸宅はたいそう立派な門構えをしていた。門のうちには透明な水をたたえた湖が広がり、それを白い橋が横切っている。橋の先にあるのが住居なのだろうが、まず目立つのは奥の硝子の天蓋である。その手前に、赤煉瓦の建物が数棟並んでいる。
 リオが案内されたのはそのうちの一棟の二階で、どうやら客室らしかった。主人の趣味なのか、車両と同じくどこか古めかしい内装をしている。深い森の色をした絨毯は、足が沈みこむ錯覚を覚えるほどやわらか。小さなテーブルや椅子はよく磨きこまれてつやつやとしていた。
 部屋は自由に使ってよいと言い残し、鳥によく似た召使は去っていく。ひとり残され、リオは窓に近寄った。硝子越しに、清らかな湖とその周りをぐるりと取り囲む森林がのぞめる。この星は高級住宅街であるはずだが、他の家とは森を隔ててずいぶん距離があるらしい。
 倒れこんだベッドは適度な硬さで、シーツの肌触りが抜群だった。天井の複雑な模様を眺め、リオは菫青の目をまたたかせる。
 ここまでの住まいを持つ者なら、試用期間を一ヶ月、だなんて吝嗇(けち)なことをする必要はないのではないか。
 てっきり自分は見栄ばかり張る成金に買い上げられたのだと思っていたが、部屋の内装は古典的とはいえ上質で、品がいい。ここの主人ならば、自分のような売れ残りではない〈アドニス〉ひとり手に入れることなどたやすいと思える。
 ――どんなヒトなのだろう。リオは寝台の上に転がっていた刺繍のクッションを引き寄せ、ぎゅうと抱きしめる。どんな姿かたちをしていて、どんな思いで、自分を買ったのだろう。
 去来したのは、もしかしたら、という思い。彼は夢想する。まだ見ぬご主人さまは、ひょっとしたら自分を舖で見初めたのではないか。売れ残りだからと買い叩いたのではなく、この見目を、この人格を愛し、価値を見出したのではないか。
 ばかばかしい、そんな都合のいいことがあるか。自分自身の想像をそう断じながらも、彼は否定できない胸の高鳴りを感じていた。
 しかしその日、リオがご主人さまのもとに召されることはなかった。翌日も。そしてその翌日も。
 客室で眠り、起きるだけの日々はあっというまに過ぎていった。
「ご主人さまは、お忙しいの?」
 一週間が経ったある夜、食事を運んできた召使いにリオはついに問うてしまった。どうして呼ばないのかと直截な聞き方をしなかったのは、せめてもの矜持だ。期待していたことを、知られたくなかった。
「ええ。さまざまな事業を手がけられているお方ですから」
 ワゴンから硝子の瓶をテーブルに並べながら、言葉少なに返答が返ってくる。少し、ほっとした。放っておかれているのは単にプライベートな時間がとれないからなのだ。
「……こうして部屋にいるだけでは、退屈なんだけれど」
 テーブルに頬杖をつき、斜に召使いを見上げる。
「なにかお望みですか。必要なものがあればこちらで用意しますが」
 鳥の鋭い目が、リオを見返す。望み。端的に言うならば、彼はご主人さまに会いたかった。〈アドニス〉としての勤めを果たしたい。けれど口に出すことはできず、
「とくにこれ、というのはないよ。でもなにか気を紛らわせられるものはない?」
 そんな返答をした。
 食事の用意を整え、召使いは思案顔をする。リオの言外の望みは彼には伝わらず、ただ、なにか見繕っておきますという言葉を残して去っていった。
 そうして少年は広い客室にひとり残される。
 テーブルの上に並んだ食事を見下ろす。〈アドニス〉の食事は蜜や糖類である。今夜出されたのはなにがしかの花の蜜だ。この屋敷に来てから数度口にしているが、いままで味わったことのない甘露である。琥珀色の液体は瓶のなかにたっぷりと詰められ、きらきらと明かりを反射している。
 脇に添えられた匙で中身をすくい、口にふくんだ。甘みが全身に染みわたり、栄養になっていくのがわかった。
 だがそうして体が満たされても、心は空虚だ。
 食事を半分以上残し、リオは食卓を離れる。背中から寝台に転がり、自身の体が眠りを求めていることを知る。ごそごそと寝巻きに着替え、シーツの隙間に潜りこんだ。
 忙しいだけなら、いつか呼んでくれるかもしれない。まだ試用期間は三週間も残っている。
 そう思うと同時に、期待するだけ無駄だとも感じていた。

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